【横浜カルバリーチャペル】 天の窓
     
2018年6月24日

「 Walkie-Talkie クリスチャン 」

懐かしき昭和の時代。小学生の私が憧れたのはトランシーバーだった。と言っても、それが何の事かスマホ世代の若者にはわからないであろう。トランシーバーとは単信通話方式携帯無線機の事で、片方が喋る時は、もう片方は聞いているだけ喋る事はできない為、話し終えると「オーバー(Over)」とか「どうぞ」と言って相手を促す。TVを観て憧れたのか、小学生の私はトランシーバーを手に歩きながら、この「オーバー」とやってみたくて仕方なかったようである。当時、子供用のトランシーバーはデパートのショーウィンドウでしか見ない程の高価な玩具で、とても両親にねだる事などできなかった。そんな中、大阪の親戚を訪ねた際、叔母さんが、「順ちゃん偉いねぇ、東京からよく一人で来たね。ご褒美に、欲しいもの何でも買ってあげる」と言うではないか!この機を逃したら一生後悔すると、思い切って「トランシーバー!」と答えた僕。叔母さんがいくら裕福だったとは言え、まさかそんな高い物を小学生がねだるとは思わなかったであろう。梅田のデパートで買ってくれた黒く輝くトランシーバー。叔母さんに本当に申し訳ない事をしたと、牧師となった今も、やはり一生後悔する事となった。東京に持ち帰った僕の大切な宝物。誰にも取られたくも壊されたくもなかった僕は、何と、それを友達に貸す事ができず、二つのトランシーバーを両手に、一人二役で「オーバー」「はい、どうぞ」とやっていて、はなはだ面白くなかった。大切な物こそ、自分一人で独占する事なく誰かとシェアーしないと、人生喜べないどころか、えらく疲れる事を教えられた小学生であった。

トランシーバーは英語でTransceiverではなく、Walkie-Talkie(ウォーキートーキィー)と言う。「Walk歩く」と「Talk話す」が合わさった語である。それは、私達クリスチャンも、自分が語り告白する言葉(Talk)と、日々の歩み(Walk)が一つとなっているかを問われる言葉と言えるだろう。また、人生、自分から自分に一人で話し語っていても、何の感動も喜びもない。神との開かれた会話が私達を豊かにし、喜びで満たしてくれるのである。

そんな意味で、今日開かれる賛美セミナーの講師として横山兄姉ほど相応しい方はない。現在、ドイツカルバリーチャペルで奉仕する次男Philipも、以前Machida-de-Jesusや全国で賛美宣教師として主に仕える横山大輔兄に多大な影響を受けた。彼が歌い語る賛美とその歩み/生き方が一つであるWalkie-Talkieクリスチャンであり「半端ないって」事を見たからである!