【横浜カルバリーチャペル】 天の窓
     
2018年7月8日

「 ロッカールーム美学 」

サッカーのロシアワールドカップ。日本は先週、惜しくも優勝候補のベルギーに逆転負けしてしまった。午前3時の試合。熟睡中であった私は真夜中に大喜びの家内に起こされた。何と日本が点差を広げ、2対0としたところであった。まさかと思ったが夢ではなかった。そこで、後半戦応援したのであるが、その後、私が目にしたのはベルギーの稲妻のような3ゴールであった。何の為に起きて来たのやら。。。と思っている所に家内の追い打ちが。「あなたが起きて来たから負けた!」「。。。」明日からはゆっくり寝られそうである。

優勝候補を恐れさせた大奮闘ぶりは、日本はもとより世界中から称賛の拍手が送られた。更に、ピッチ外でも話題となったのは、日本のファンの試合後のゴミ集めである。それが世界中のメディアで伝えられると、他国も自分達もと、試合後の麗しいゴミ拾いが観客席の至る所で見られた。メディア合同インタビューで吉田選手が、「日本には『来た時よりも美しく』という言葉がある」と説明すると、「日本のロッカールームも綺麗なのか?」とズバリ聞かれた。苦笑いしながら「他よりは綺麗かな」と答えると会場は笑いに包まれた。インタビューの影響か、FIFA運営委員が、ツイッターにあげた敗戦後の日本ロッカールーム写真には見事にゴミひとつなく、机にはロシア語で「スパシーバ(ありがとう)」のメッセージが手書きで残されていた。6時間で2万件を越える桁違いのツイートが世界中から届けられた。

川北義則氏の「引き際の美学」には教えられる。「人間、引き際が大切である。いかに成功を収めようとも、いい仕事をしようとも、最後次第で台無しになる。始めるより難しいのは終える事であり、引き際は人を試すのである」。良寛、辞世の句「散る桜、残る桜も、散る桜」のごとく、咲いては散る桜を美しいとする日本人は、散り際、引き際、別れ際を美しく飾り終える事を美徳として来た。人生も、信仰者の生涯も同じであって、この命をどう終えるか。十字架と死の向こうにこそ、天が、永遠が、命があるのである。罪の故に、人は泣きながら生まれて来るが、キリストにあって罪赦され、笑いながら終える事ができる。私達がこの世を去った後も、この写真のように、神の美しさ素晴らしさが、いつまでも褒め称えられるようにと祈るものである。