【横浜カルバリーチャペル】 天の窓
     
2018年8月12日

「 天より僅か1キュビト 」

日本ではあまり感じないのであるが、カナダで生活していた頃、サンルーフ付きの車に憧れたものである。雪や氷河の冠を被って天までそびえるロッキー山脈も、夜空を7色の帯で染めて踊るオーロラも、フロントガラスに捕える事はとうていできなかったからである。

映画「サウンド・オブ・ミュージック」でマリヤが語った美しいフレーズ「たとえ扉が閉まっても、神様はどこかの窓を必ず開けて下さる」。ヘレンケラーは、「幸せの扉が閉まる時、別の扉が開くのです。でも、あなたはいつまでも閉ざされた扉ばかり見つめているので、その扉が見えないのです」と言われた。三重苦であったヘレンケラーが見ていた開いた扉とは何であったのであろうか。

この週報のコラム欄「天の窓」は、マラキ3章10節の引用と思われがちであるが、むしろ上記のマリヤの思いに近い。ノアの箱舟にも「天窓」(新改訳/新共同訳)がついていたと記されている。人生、たとえ四面楚歌で全ての扉が閉ざされても諦める必要はない!主を信じて生きる者の人生には、主が取付けられた天窓がどこかに必ずある。そして、私達はその窓から、神と神の住みたもう天の大きさ・美しさを仰ぎ望む事ができるのである。そう、閉ざされた扉ばかりを見つめるのではなく、ただ上を、天を仰ぐのである。

「箱舟に天窓を作り、上部から1キュビト以内にそれを仕上げなさい」
創世記6:16【新改訳】

終戦73年を迎える日本の平和を共に祈り、
天より僅か1キュビトの天窓を、この国の為に共に作ろうではないか!