【横浜カルバリーチャペル】 天の窓
     
2018年8月19日

「 名将イエス様のもとに 」

明日準決勝、明後日決勝戦を迎える夏の甲子園「第100回記念大会」は、今年も熱い戦いと多くの感動と涙のドラマが生まれている。毎年、終戦記念日の正午には、サイレンと共に試合を中断し1分間の戦没者追悼祈祷が行われる。戦争を知らない平成生まれの高校球児達が、ヘルメットや帽子を脱ぎ、丸刈りの頭を一様に垂れる姿に、まるで73年前、戦争で犠牲になった若者達の姿が重なって見えるのは私だけであろうか。

今年の8月15日正午は、沖縄代表・興南高校と、東千葉代表・木更津総合高校の試合中であった。沖縄・興南高校の我喜屋優監督(68)は、半世紀前の第50回大会に興南高校主将・4番打者として出場し、それまで春夏通算1勝しかなかった沖縄県代表をベスト4まで導いた。その後、監督として母校を率い、2010年には沖縄県勢初の春夏連覇も達成した名将である。

また、この8月8日に亡くなられた前沖縄県知事・翁長雄志氏と、内閣官房長官・菅義偉氏は、同じ時期法政大学に通っていた。菅氏が、沖縄基地問題の交渉で「お互い、法政ですね」と言うと、翁長知事は「私はパスポートを携行しての通学で、仕送りも米ドルでした」と返されたのである。

同じく、我喜屋青年(監督)も50年前、パスポートを手に船と夜行列車を乗り継いで甲子園入りをされた。当時、沖縄はまだ米国の統治下にあり、持ち帰ろうとしたあの甲子園の土は、植物免疫法により持ち込みが認められず、那覇港上陸目前で海に捨てさせられたそうである。

野球はチームの勝利の為に多くの自己犠牲が求められるスポーツである。その用語も、犠打、犠牲フライ、死球、併殺などで満ちている。また、野球で最も重要なホームベースは、スタート地点でもあり、また同時にゴール地点でもある。ここにも野球の深い意味が秘められているように思えるのである。

今回、残念ながら木更津総合高校に敗れた我喜屋監督が、敗戦インタビューで「これで終わりではない。彼らの人生のスコアーボードはこれからも続くのです」と言っていた。以前読んだ我喜屋監督の著書にも「甲子園優勝が花ならば、普段の生活・練習は根っこ。花はいつか散るが、根っこがあればまた美しい花が咲く」とあって感動した。甲子園優勝やプロになる事が目標ではない、と言われる我喜屋監督の言葉通り、私達信仰者も、華やかさや目先の事に捕らわれる事なく、初めであり終わりである主イエス様から目を離す事なく、神の国の為に喜んで自らを犠牲にし、共に勝利を掴もうではないか。